時はもどらない。


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今年、長男は大学に入った。
実家が遠方なため下宿している友達がたくさんできて、週の半分は帰ってこない。

次男は高校2年、週末も長期休みも部活でほとんど家に寄りつかない。

長女は中学2年、子供達の中では一番顔を見るのも話をするのも多いが、こちらも部活と友達づきあいで、家でお母さん、とまとわりついてくることはおねだりしたい物がある時以外はほとんどなくなった。

思春期の子供達との一触即発の事態を避けるために、言葉を選ぶのもだいぶうまくなってきたと思う。

「くそばばあ」と直に言われたことはないけれど、あ、今そう思ってるな、とわかることは何度もある。
はずみでおまえ呼ばわりされることにも、もう慣れた。

せっかく作った夕飯に手を付けないで、カップラーメンの食べ残しがそのままテーブルに置いてあったり、
おなかをすかせているからと超特急で作って、ごはんですよと呼んだ時には、時すでに遅し、熟睡して翌朝まで起きなかったり。

3人で泣いたり笑ったりけんかしたりする中、家族揃って賑やかに食卓を囲むことは、もうほとんどない。

何度もこぼされたおみそ汁。
おかずといっしょにぐちゃぐちゃにかきまぜておいて、もう食べられない、と残された見るのもいやになるお茶碗の中のご飯。
いくつコップを割っただろう、何度床を拭いただろう。
素足でご飯粒を踏んづけた情けない感触は今でも思い出すとぞっとする。

だけど、今大人まで後一歩の子供達を見ながら、思い出すのはあのまん丸の鼻水とよだれでべとべとの顔、何度も握りしめた小さいえくぼのある手の感触ばかりだ。

あんなに毎日通った公園に、足を踏み入れなくなってもう何年経つだろうか。
一緒にお風呂に入って頭を洗ってやったのは、いつが最後だっただろうか。

もちろん、今だって一つ屋根の下、親子で暮らせば、楽しいことも嬉しいことも、あることはある。

でも、あんなに濃密でこれでもか、というぐらいの思い出が詰まった日々は、もう二度と来ないのだろう。

一人で自由に出歩くようになった今、電車の中で大泣きする赤ちゃんを必死であやしているお母さん、自転車の前と後ろに小さい子を乗せて、真っ赤な顔で自転車をこいでいるお母さん達を見ていると、思わず「大変ね。でも、今が一番かわいいのよ。」と声を掛けたくなる。

でも、きっと言わなくても大丈夫。
お母さん達は今、思い出をしっかりストックしているところ。
どんなに必死でも、目が回るほど忙しくても、そんな時間のすき間を縫って、子供とお母さんの思い出はどんどんたまっていくのだ。

時はもどらない。

でも、思い出は消えずに、時を越えてずっと手元で輝き続ける。

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